VTuberを本気で語ってみた(幼女計算機の場合)

 はじめまして。幼女計算機と申します。

 
 先日、ミカグラさんの記事「そろそろ本気でVTuberの話をしないか?」がツイッターで流れてきたので読みました。

3qua9la-notebook.hatenablog.com

 

 非常に面白い記事で、納得や同意が出来る箇所が数多くあったのですが、ところどころ僕の考えとは異なる部分があり、記事の最後に

「私はこう思う」という意見をお持ちの方は、ぜひ「文章」を書いていただきたい。

とあったので、その旨を記事にすることにしました。

 

 

 僕は東大VTuber愛好会に所属しており、この記事はその団体に所属する者の記事ですが、決して総意を表すものではないということを断っておきます。何なら非難囂々かもしれません。僕の勝手でしたためたものなので、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

 

 

はじめに

 この記事の内容はどうしても批判が多くなってしまいます。そのため僕はミカグラさんの記事が悪いと言っているように思われるかもしれませんが、誤解されたくないので最初に記事を読んだ感想を述べておきます。

 

 ミカグラさんの記事は全体的によくできていると感じました。ここに内容の詳細を書く意味はないので省きますが、「令和VTuber」の特徴など理論立てて説明されており、納得できる内容です。何より、それを整理して言語化し、記事になさったことは称賛されるべきでしょう。

 

 ただ、読んでいて個人的に引っかかる箇所がいくつかありました。結論だけ言えば、単に「主語が適切でない」みたいなありきたりな内容になるのですが、それだけではあんまりなので、それを

1.「バーチャル」の意味

2.VTuberは何を提供しているか

3.VTuberは多様であるということ

この3つに分けて論じようと思います。

 

 

1.そもそもバーチャルとは?

 ミカグラさんの記事では、Virtualである例として2つの3D配信、Virtualを捨てている例としていくつかのゲーム配信や歌配信などを挙げています。なんとなく言いたいことは分かりますが、これらから単純にVTuberはVirtualを捨てている、とするのは早計であるように思われます。なぜなら、ここで使われている”Virtual”は元々の意味からズレているからです。

 

 では、そもそもバーチャルとはどういう意味か。ここでは、VTuberの基盤であるバーチャルリアリティの考え方を参考にしましょう。日本バーチャルリアリティ学会はこのように説明しています。(出典: https://vrsj.org/about/virtualreality/) 

バーチャルリアリティのバーチャルが仮想とか虚構あるいは擬似と訳されているようであるが,これらは明らかに誤りである.バーチャル (virtual) とは,The American Heritage Dictionary によれば,「Existing in essence or effect though not in actual fact or form」と定義されている.つまり,「みかけや形は原物そのものではないが,本質的あるいは効果としては現実であり原物であること」であり,これはそのままバーチャルリアリティの定義を与える.

 バーチャルとは、物事の本質のみが抽出、再現されているため、事実上それと変わらない、というような意味です。

 

 そして、その本質というのはそれに何が求められているか、つまりそれを使う目的によって変わります。例えば、ある高名な実在の人物にVR空間に来てもらうことを考えます。その場合、その人のアバターは現実世界のその人そのままの、リアルなものが適しているかもしれません。下に挙げているような全身をスキャンしてリアルアバターを作る技術はそういう目的もあってのものでしょう。
xr-hub.com

僕の仮定では、VR空間上の人物が「その人である」ということが重要であり、その目的に沿ったアバターがリアルアバターであるということです。ただ、これは限定的な例であり、VRでは常にリアルアバターが重要視される訳ではないことはご承知の通りです。

 

 では、VTuberはどうでしょうか。バーチャルYouTuberはそのまま考えると事実上のYouTuberという意味になります。それを拡張して、VTuberは「事実上は配信者/動画投稿者である主体」と考えるのが良いでしょう。先の例とは違ってある意味でリアルさは必要なく、それ故にVTuberは二次元キャラクター然とした見た目でも本質を失いません。それがむしろ現実の配信者などには無い強みになっています。尤も、おそらくこれは元々意図的なものではなく、日本のアニメ文化とかkawaii文化とかそういう的なあれだと思いますが......

 

 この見方をすれば、VTuberの本質とは配信者/動画投稿者であるということになります。ミカグラさんの記事で「Virtualであることを捨てたVTuber」の章に書いてあるように、VTuberは"Virtual"でない配信者や動画投稿者と活動内容は変わりません。それはつまり、VTuberは本質を失っていない、十分にバーチャルな存在だということではないでしょうか。

 

 上で少し触れたように、VTuberの本質ではない部分である二次元のキャラクターの外見はリアルに対するVTuberの強みです。どう強みなのかは、ミカグラさんの記事の「なぜ、彼らはVirtualな存在なのか」によく説明されています。

現実世界の人物をそのまま動かすよりも、架空のVirtualな世界にいるVTuber達が動き、物語を作っていくという「現実離れ」したもののほうが、想像するのは容易でしょう。

とか、

視聴者からはファンアートがよく送られます。そういった絵の中には、関係をもつVTuberや、ユニットのメンバーを一枚に収めることが非常に多いです。こうしたファンアートも、配信者自体単純化された、二次元の存在にいることによって、描きやすくなります

とかです。これから、表象が二次元キャラクターであることこそが、まさにバーチャルである意義を表していると言えますよって、バーチャルであることは捨てていない。これが、記事を読んでいて違和感を覚えたことの一つです。

 

 ただ、ミカグラさんが指摘したい内容はこういうことではないでしょう。「VTuberは一定以上のバーチャルリアリティ性を持っていない」と言えば、確かにその通りです。VTuberという主体において、バーチャルリアリティ性を持つことは、映像作品として面白くするために重要でしょう。実際、ミカグラさんの記事に挙げられている星街すいせいの3D配信や社築の3D配信は僕もリアルタイムで視聴していましたが大変素晴らしいものでした。面白さは配信者や動画投稿者を成り立たせるために重要なものであり、それが欠けていることは本質を脅かしえます。しかし、直接本質が失われるわけではないことは、むしろ2DのVTuberがそれなりに受け入れられたことが示していると思われます。

 

 ミカグラさんの記事は、要約すればVTuberの本質が2018年のVirtualから2020年の物語性になった、ということを主張しています。結果的には同じことですが、僕が今までしてきた主張に則れば、それは昔から変わらないと言えるでしょう。

 

2.VTuberは何を提供しているか 

 そんなVTuberは何を提供しているのでしょうか。ミカグラさんの記事では物語性や関係性が「令和VTuber」の楽しみ方だと述べられています。VTuberというコンテンツを語るのに物語性と関係性の二つを軸にするのは全くその通りで、僕もその二つは極めて重要であると思います。特に、「リアルタイムで構築される、VTuberたちの物語を読むという表現には感服しました。

 

 ただ、そもそも物語性と関係性は令和に始まったことではありません。例えば、少し前に話題になった(?)noteで言及されているKANA-DEROは2019年1月の公演でした。

note.com

 それに、「てぇてぇ」が出来たのは2018年3月の投稿が原因である可能性が高いということがミカグラさんが記事で引用しているニコニコ大百科の記事にも書いてあります。というか、関係性と物語性の話をするなら「かえみと」は外せないでしょう。色んな意味で伝説の「楓と美兎~寝落ち耐久配信~」は2018年6月17日の配信です。

www.youtube.com

 

 これらは「令和VTuber」の昔の在り方だからだ、と考えられるかもしれませんが、僕はもっと一般的なものだと思います。

 

 例えば、2018年6月30日に行われたキズナアイの生誕祭イベント「A.I. Party! 〜Birthday with U〜」での出来事は、我々に物語性と関係性を提供するものです。(以下のPANORAさんの記事を参考にしてください)

panora.tokyo

 つまり、物語性・関係性は「令和VTuber」に限った話ではないということです。それらがVTuberを楽しむために重要視されるのは、VTuberが二次元だとかそれ以前の性質から来ます。それは”人”を消費するコンテンツであるというものです。

 

 配信者やアイドルひいては動画投稿者、アーティストなどでも、”人”を消費するコンテンツとして見れば必ず物語性・関係性が生まれます。「百合営業」はアイドル声優の文脈での言葉ですが、これは関係性がコンテンツになっていないと生まれない言葉でしょう。

 

 本質的にそれらと変わらないVTuberは、たとえ「黎明期VTuber」でも潜在的に物語性・関係性を持っていた、と言えます。それに近いことがミカグラさんの記事にも書いてありますが、

ここまでは、従来の配信文化と同じように、「個人の活動を楽しむ」という仕方でコンテンツが成立します。

その後の部分

しかし、令和VTuberは、単なる配信者であるだけではなく、ほかのVTuberとのコラボやユニットの結成などを通して、我々と同じ時の中で、新しい関係を構築していく存在でもあります。コラボの回数が重なれば、特定の関係が深化され、出会った時よりも親密な関係になっていきます。それが月単位で続けば、そこには一定のドラマが生まれ、それが年単位にもなれば、歴史、文脈が生まれていきます。それは一種の物語と呼んでよいほどに発展していきます

も一般に言えるでしょう。VTuberに特有なのは、前述の通り、バーチャルであるがゆえに関係性・物語性がより強く表れる、ということです。

 

 

3.VTuberの多様性

 最後に、「令和VTuber」に終始しているのはどうなのか、という話をします。

 

 まず、ミカグラさんの記事の第1章「現在のVTuberについての概観」で述べられている内容ですが、これは現状をよく説明していると思います。実際、今のVTuber界は昔(2018年初頭くらいの時期)のVTuber界と異なっているというのは誰が聞いても同意するでしょう。にじホロのVが台頭しているというのも記事で挙げられているデータも示していますし、感覚的にも納得できます。その後、にじホロやそれに類するのVTuberを「令和VTuber」と呼び、その特徴について論じていますよね。

 

 そこで、確かに彼女らや彼女らに類するVTuberに焦点を当てるのは意義があると思いますが、どういった思考でそこに至るのでしょうか。

 

 僕はこう考えます。にじホロの台頭を示すデータは視聴数とスパチャ額で、感覚的に~というのもオタクの多さへの僕の体感からくるものです。つまり、これらのVTuberは動員数が多く、比較的多くの収入が見込まれるVTuberであると言えます。"質の良い"VTuberコンテンツを提供するには多くの資金が必要であり、それに見合うのはにじホロのようなVTuberである、という理由です。先月いちからが19億円の資金調達をしたことは話題になりました。

prtimes.jp

あるいは、単にファンが多いVTuberについて考えた方が功利主義的に良いのかもしれません。

 

 そしてそれは、「今いるVTuber達がにじホロやそれに類するVTuberばかりだから」ではないのです。ミカグラさんの記事には

四天王が活躍した時期のVTuberと、現在のVTuberは全く違うあり方になっており、それを十把一絡げにして議論するのは非常に困難だからです。

とあるので、にじホロ等のVを考えるのに時間の隔たりを理由にしているような感じがしますが、にじホロのような形でないVTuberは現在も数多くいます。彼女らがVTuber界のある側面での最前線を走っていることは事実でしょうが、必ずしもVTuberの代表として見られるものではないように思われます。

 

 つまり、VTuberは多様だということですが、それなら動員数の上位も多様であるべきですよね。なぜそうなっていないか。それは、全く、完全に、オタクが悪いと言わざるを得ません。(もちろんその”オタク”には僕も含まれます.......)

 

 VTuberは物語性・関係性を楽しむコンテンツだという面があり、箱はその点で非常に強いというのはミカグラさんの記事の通りです。

グループに所属しているVTuberは、グループ内でのコラボが容易だからです。コラボの回数が増えれば、作られる関係性は必然的に増加し、紡がれる物語の数も多くなります。

 

また、箱内のあるVTuberのファンになったが、過去にそのVTuberが紡いだ物語の中の登場人物を追っているうちに、いつのまにかその人たちのことも追うようになった、という例は少なくありません。こうして、お互いがお互いのファン同士を増やすような仕組みになっていることも、「箱」人気の一因であると考えられます。

あるいは、その集団に属しているか属していないかがはっきりしていることも原因の一つかもしれません。

 

 関係性・物語性に強い箱にオタクは集中し、他の良いコンテンツを提供しているVTuberを認知すらせず、自分が推す「箱」にのみ時間を使い、外に目が行かなくなり、どんどん没頭していく。そうして、強い箱を持たないVTuberはどんどん埋もれていき、箱に入りさえすれば誰でも注目される。

 

 こういう仕組みで、強い箱を持つ、具体的に言えばにじホロのVTuber達が動員数の上位を席捲していきます。

 

 実際は非常に多様なVTuberが存在しています。というのも、”人”がコンテンツのVTuberには”人”の数だけコンテンツの形態があるからです。様々なVTuberが、自らの強み、専門分野を活かして、自分というコンテンツを供給し、多様性のあるVTuber界を構成しています。具体例なしに言っても説得力に欠けるので、以下に例を挙げます。

 

音楽

 2019年はVTuberが音楽という分野で目覚ましく発展した年でした。今でもその勢いは衰えず、音楽系のVTuberはより良いものを作り続けています。

 

 ヒメヒナは2018年上半期にデビューしたVTuberですが、YouTuberとしての活動はその時から今でもあまり変わっておらず、動画投稿が中心です。そして、デビュー当時から高い歌唱力で注目されていましたが、当時よりそれを活かせる機会を増やしています。2020年4月15日には、オリジナル曲がなんと19曲も収録されている1stアルバム「藍の華」をリリースしました。

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 2018年末から2019年上半期にかけて、その個性的な歌声から話題を呼んだ花譜は、活動1周年となる2019年10月に発足したKAMITSUBAKI STUDIOに所属。新たなバーチャルシンガーたちとともに、独特な世界観で他にはないものを作っています。

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 最近では、数か月前から活動を開始したBOOGEY VOXXが今VTuber音楽界隈で話題を呼んでいる印象です。BOOGEY VOXXはキョンシーのCiとフランケンのFraによるユニットで、先日5月8日に初のMV「D.I.Y.」を投稿しました。これからが楽しみなユニットです。

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 掘り下げるとキリがないですが、音楽を強みとするVTuberだけでも一つの大きなカテゴリーであるといえると思います。

 

技術

 VTuberにはその性質上、エンジニアが多かったような気がします。今でも技術系のVTuberは活動しています。

 

 届木ウカはかなり初期から活躍しているVTuberで、当時から注目されていましたが、最近の新モデルは本当に秀麗というか、凄いですよね。

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 大田マトは少し前からよくツイッターでバズっているのを見かけますが、あの方も技術系VTuberの一人です。

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 技術に関してはどうしても資本のある企業が強いですが、それでも面白いものを作っているVTuberはまだまだいます。

 

ご当地

 いつ頃から出てきたのかは定かではありませんが、ご当地VTuberもだんだん勢いを増している感じがします。

 

 おきなわ部、根間ういの「沖縄あるある」は広告となっていたこともあってかYouTubeで現在90万回以上再生されています。 

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学術

 学術系VTuberという言葉もよく耳にします。宇宙物理たんbotは昔からツイッターで活動していましたがVTuberとしても活動しはじめました。

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その他

 何かそういうジャンルがあるわけではないですが、自らの強みを前面に押し出して発信しているVTuberは数多くいます。その「強み」は極めて多様です。由宇霧は主に性についての動画を投稿しているVTuberで、数か月前に書籍を出しました。懲役太郎という、主に反社会組織や犯罪に関しての動画を投稿しているVTuberもいます。

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 以上の例だけでも自らの強みを活かした多様なVTuberがいることは分かると思います。当然ですが、以上に挙げた方が「令和VTuber」より優れていると言いたい訳ではございません。にじさんじやホロライブなどにも強みを活かした方は沢山います。

 

 僕は普段から広くVTuberを観ている訳ではないので、殆ど知らないVTuberの動画の再生数が凄く伸びているのを見ると僕の見識の狭さを思い知らされます。おそらくそういう方の動画は”VTuberのオタク”が多く観ているというよりも、その分野に興味がある人たちに観られているんだと思います。あるVTuberを観ている人が他にどんなVTuberを観ているかなどの分布は、VTubersによる分析などに期待しています。

 そして、一部でウケて再生数が伸びているVTuberはまだいい方で、面白いものを作っているのに再生数が伸びていないVTuberは沢山いるはずです。なぜなら、質の良し悪しは多くの人に観られて初めて正当に評価されるからです。

 

 専門分野がはっきりしないVTuberは、分かりやすい強みがVTuberであることに起因するものしかありません。すなわち、関係性と物語性です。それはオタクの需要が集中しているコンテンツなので、その強みに頼っているVTuberが目立ち、VTuberは画一的に扱われてしまいます。

 

 別に自己否定に他人を巻き込みたいのではありません。面白いと思うものは人によって異なるため、VTuberの画一化が進めば、それを消費するためだけに人はVTuberを見るようになり、熱量は失われて行きます。全てのVTuberのチャット欄「てぇてぇ」「エモい」で埋まった時、VTuberは”終わったコンテンツ”になるでしょう。確かに関係性・物語性はVTuberが提供する面白いコンテンツの一つですが、その魅惑に負けず、より面白いと思うものをオタクみんなが掘り出せば、VTuber界はより発展していくことでしょう。

 

 2019年末から、界隈内でよく知られているVTuberの引退が相次いでいます。実力が無いから淘汰されたんだという見方も出来るかもしれませんが、その”実力”が強い箱、良い箱にいるか否かで決められるならばそれはあんまりではないでしょうか。オタクは、VTuberが好きなら、VTuberだから好きならば、自らの推し以外にも目を向けるべきだと思います。詳細は省きますが、僕の経験上これはオタク自身のためにもなるので本当にそうした方が良いです。

 

 話を戻します。VTuberの画一化はよくVTuber批判の文脈で使われますが、ミカグラさんの記事ではたとえ画一的に見たとしてもVTuberは面白いと説いています。それはそれで良いと思うのですが、そもそも「令和VTuber」はVTuberを恣意的に選出しており視野が狭く、「VTuberの話をする」というコンセプトから外れているように感じられます。

 

 

終わりに

 僕の主張はまとめると、

 

VTuberはバーチャルであることを捨てていない。キャラクターであることはVTuberの本質ではなく強みである。VTuberの本質はその人をコンテンツとして提供する主体であることであり、それにより物語性・関係性が生じ、バーチャルであることによってその効果は強められている。”人”がコンテンツなのでVTuberは多様であり、スパチャ額上位や視聴数上位のVTuberをその代表として論じられるものではない。

 

ということです。

 

 ミカグラさんの記事がツイッターで流れてきた時、VTuberを本気で語った内容がどのようなものなのか楽しみだったのですが、蓋を開けてみれば現在のVTuberは「令和VTuber」一色だと言わんばかりの内容で、僕の心のうちにわだかまりが残るような内容でした。

 

 VTuberは多様であり、一人ひとりの供給量を考えると、その全体像を掴むためには膨大な量のコンテンツを観て、考慮に入れなければなりません。僕が見た限りでは、思惟かねさんの2020年のVTuberの動向を予想したnoteが一番それに近いことをやっています。

note.com

流石にコロナウィルスの影響は予想されてませんがそれに限らず、見る人が見れば抜けは見つかると思いますが。

 

 最初に申しました通り、ミカグラさんの記事は全体的によくできていて、称賛されるべきものでしょう。精密に理論を組み立て、分かりやすく現在の一部のVTuberの特徴を説明しています。これほど完成度の高い記事は僕にはできません。また、VTuberを真面目に語りたいという気持ちにも賛同できるところです。そのため、僕が感じた違和感をつらつら挙げて記事にさせていただきました。

 

 余談ですが、VTuberがオタクの間で流行った2018年、VTuberブームなんて1年で終わるだろとか思われながらも、ブームを文化に変えようというムーブメントがあったと記憶しています。ミカグラさんは一度VTuberを追うのをやめて最近また観始めたとのことですが、記事では終始VTuberが文化として扱われていて少し嬉しくなりました。最近知った/また追い始めた人たちがそう思ってくれるなら、ずっと界隈を支えてきたVTuber、またその運営の方たちも報われるでしょう。

 

 

 本記事を読んだ方が、VTuberに関してより見識を深められたなら幸いです。これまで読んでいただきありがとうございました。